関西電力病院のリハビリテーション科では、私も含めて約70人の療法士が患者さんと日々向き合っています。失った日常を何とか取り戻したい。歯を食いしばってリハビリに取り組む人たちを、病気や事故の前のレベルに戻すことが使命なんです。
病院では脳卒中などの「脳血管」、骨折などの「運動器」、肺や心臓などの「内部障害」、白血病などの「ガン」の4部門で担当が分かれており、私は主に「脳血管」を担当。また「急性期」と「教育」の責任者も任されています。
医療の最前線というのは激しい現場です。予期せぬ交通事故で被害にあわれた方、不慮の事故で全身をやけどされた方、脳や心臓の突然の病気や、ガンの大手術からの再起。それぞれの人生に、それぞれの症状があります。病名はひとつでも、症状も度合いも違えば、体力差もある。失った機能を回復する方法も、方程式のように決まっているわけではありません。理学療法士は経験と知識、そして体力、持てる能力とすべてを駆使して、患者さんとゴールに向かう仕事です。
理学療法学科一期生として学んだ時期に先生に言われた言葉があります。「理学療法士は『歩けない』と泣いている人を励まして、涙を止めるのが仕事じゃない。歩けるようにすることが仕事なんだ」。今、現場で闘っていても、この言葉は仕事の本質を言い当てていると思います。
「必ず受かる」を合言葉に。
履正社時代は必死でした。入学したのは26歳と遅かった。高校では教科書もまともに持っていない生徒だったから、目標に向けて勉強するのは初めて。大変でした。新設の学科で「どこの学校にも負けへんような厳しい教育をする」と先生方も燃えていた。学校の廊下を歩くときでも「音を立てるな。病院ではそんなことはありえない」と注意され、線を1本書くのでも、正確を要求された。いい加減なことは許されなかった。
夜間部で午後5時すぎから、みっちり4時間の授業。日中、仕事がない日は十三のマクドナルドで午前中から夕方まで予習をしていました。理学療法士になれなかったら、自分には何も残らない。この道でやるしかない。今は理学療法学科夜間部の学科長となった木下拓真とはいつも一緒に勉強していました。彼とは履正社の4年間、家族よりも長く時間を過ごしたと思います。学校帰りに安い居酒屋に行ったときも「必ず受かってみせる」がいつも合言葉でした。過去10年の理学療法士試験の問題をみんなで仕分けして、どこにウエートを置いて勉強するか。みんなで検討したのも今となってはいい思い出です。情熱的な先生、夢を諦めなかった仲間。出会いがあったから頑張ることができたと思っています。
理学療法士に必要なのは何よりも人が好きだということ。そう思っています。医師や看護師よりも長く患者さんと接するのが理学療法士。1時間近いリハビリで支えになるのは会話なんです。「痛いですか」だけじゃなく、趣味やお孫さんのこととか楽しくなる話で盛り上げて、辛いリハビリを一歩一歩乗り越えていく。コミュニケーションが一番大事なポジションなんです。理学療法学科では今春入学生が十八期生と聞きました。社会人としての資質を高め、良き医療人をまず目指してほしいと後輩には期待しています。
