大学卒業後、長くサラリーマン生活をしていました。それでもいずれ資格を取って、“自分の城”を持ちたいという夢は持ち続けていました。柔道整復師の仕事を知ったのは、大学時代です。当時、すごくスキーに熱中していました。スキー場でパトロールのアルバイトもしていて、捻挫や骨折した人をドクターの元へ運んでいたんですよ。その時に柔道整復師のことを知りました。こんな職業もあるのかって興味が湧いて。転身のタイミングを図っている時、履正社が柔道整復学科と鍼灸学科を新設すると知り、入学を決心しました。
そして、40代後半で夜間部一期生の新入生となりました。クラスの半分は転職組。男ばっかりでね(笑)。僕より年上の人もいましたよ。みんな自分への投資と思っているから志はとても高かったです。お互い足りないところはカバーして、年齢に関係なく結束していた雰囲気がありました。わからないところは教え合ったり、国家試験の模擬問題をみんなで共有したりね。必死に情報を集めながら、合格を目指していました。年齢的にも後戻りはできないと思っていたので、合格は本当にうれしかったです。
好きな授業は保険。最初から開業を考えていたので関心も高かったです。また、解剖学も好きでした。あと印象深いのは海外研修です。中国の天津医科大学で解剖実習がありました。メスをもった時は緊張しましたよ。自分たちで献体を解剖できるのは貴重な経験でした。
開業してから、もう15年ほど経ちます。心がけているのは、患者さんへの「優しさの提供」です。例えば高齢者の方って、なかなかネットショッピングを利用されないでしょ。僕、ネット通販の年間会員だから、何か欲しいものがないか聞いて、一緒に注文してあげたりするんです。送料無料でお渡しできますから。患者さんとは治療だけの関係でなく、より深くコミュニケーションを取りたいと考えています。心が通い合わないと、いい治療はできない。皆さん痛みを抱え、日常生活に不便を感じておられるので、院ではなるべくリラックスして過ごしてほしいです。
スポーツを通じて、
地域に根づく。
40代の頃は、友人と一緒に、守口市と門真市を拠点にしたサッカーチームを作って活動もしていました。それがきっかけの一つで、ここ守口に整骨院を開業したんです。開業時に人手が足りないからと手伝ってくれた息子の裕哉も、履正社で学んで柔道整復師と鍼灸師の資格を取り、今は一緒に仕事をしています。
今年で69歳になりますが、今でも「北河内FC」というシニアチームでサッカーを続けています。週末はほぼ100%試合か練習。50代、60代、70代と年齢別のチームがあって、メンバーは約100名です。平日の夜は、ジムでトレーニングもしています。鍛えていれば、自分がモデルとなって患者さんに指導できるわけです。スクワットといったトレーニングも、実際に見せてあげられます。患者さんを元気で健康な体にすることが仕事ですから、自分も健康でなきゃいけないと思っています。
サッカーを続けてきたおかげで指導者の知り合いも多く、今は小学生や中学生のサッカーチームへ裕哉がトレーナー活動を行っています。また、スポーツ選手のケアに力を入れていたことで、花園全国高校ラグビーに出場した高校生ラガーや、バトントワリングで全国優勝した子も通院してくれていました。バトンの子は世界大会で2位まで勝ち上がりましたね。地元の子が活躍するのは嬉しいです。僕は地元の人間ではありませんが、スポーツを通じた関係を生かし、うまく地域に根付いてこられたと感じています。
履正社の最大の強みは、スポーツと医療をひとつの器の中で学べること。僕の学生時代もテーピングなどの授業は知識の豊富な先生がしっかりと指導してくださいました。設備も素晴らしい。今は、柔道整復学科の実習先として協力もさせてもらっています。その道を志そうとする子の目って、キラリと光っているんですよね。これからも医療人を育て、業界を代表する学校になってほしいです。100周年と聞いて、その想いを強くしています。
(写真右から、村川さんと息子の裕哉さん)