03 履正社の人 −RISEISHA 100 Stories

損得なしの関係だから、
今も昔も変わらない。

橋本匡弘さん

大阪本町法律事務所 弁護士

1990年 履正社学園豊中中学校卒業

 1987年に、履正社学園豊中中学校の3期生として、3ヵ年独立コースに入学しました。今もそうだと思いますが進学教育に熱心な学校で、周りはいわゆる難関高校への進学をめざす友人たちばかり。その中で、自宅から近いという理由で入学することとなった自分は、最初の中間テストが75人中74位だったことを覚えています(笑)。「え、みんなこんなに勉強してるん!?」って驚きましたよ。

 印象に残っているのは、コンピューターの授業かな。今でいうプログラミングになるんでしょうか。まだフロッピーディスクが普及し始めた頃で、カセットテープで情報処理をしていたことが記憶に残っています。当時はファミコンもありましたが、パソコンでやるゲームが流行っていてね。X68000シリーズやPC-8800シリーズとか。それが欲しくて欲しくて。「良い成績を取れば買ったる」と親に言われて、必死に勉強を頑張った記憶があります。

 今思えば、僕らの時は「クラスが部活」みたいな感じで、みんな仲が良かったですね。放課後は塾に通っている人が多くて、こんなことを先生に言うと怒られるかもしれないけど、学校にいる時間はみんなでエネルギーを発散させることが楽しくて仕方がなかった。今も多くの同級生と変わらぬ付き合いがありますよ。一学年75人の少人数でしたので、全員の顔と名前が一致しているし、損得なしの関係ですから。やっぱり自分にとっても、中学時代は充実した楽しい貴重な時代だったのかなと思います。

その人にとっての「正しい」とは何か。

 僕は大学院を卒業して役所で3年勤めた頃に、「法科大学院ができる」と聞き一念発起して入学しました。だから弁護士を始めたのは30歳になる頃だったんですよ。

 でも、回り道をすることは必要だったと思います。新人の弁護士が苦労するのは、世の中や会社がどんな感じで動いているのか知らないところなんですよね。たしかに教科書には机上の事例とその正解が書いてあるけど、外に出ると机の前では想像もつかない現場が広がっているわけですから。だから今の若い人にアドバイスをするならば、できれば何も社会を知らないまま弁護士等のセンセイと呼ばれるような職業につくのではなくて、社会勉強を積んだ上でそれらの職業についた方が良いように思います。どこか企業等に行ったりして社会人経験を積んできたほうが、後々苦労しないんじゃないかと思います。

 そうそう、「履正社出身です」っていうと、「履正ってどういう意味?」って聞かれることがあります。卒業生ならご存じのとおり、「自ら正しいと思う道を、おそれずに履んで行け」ということなんだけど、弁護士をしていると、物事には「絶対に正しい」ということなんてないことがわかります。世の中は、「こっちから見ればこうだけど、そっちから見ればこう」ということばかり。その人にとっての「正しい」とは何か。それを常に意識しながら、いつまでも勉強し続けていきたいと思っています。

Profile

橋本匡弘さん

1974年生まれ、大阪府豊中市出身。1990年に履正社学園豊中中学校卒業し、大阪府立豊中高校へ進学し、京都大学法学部卒業。大学卒業後は大阪市役所での勤務を経て弁護士に。現在は大阪本町法律事務所に勤務し、公共団体や企業からの依頼を中心に業務を行っている。履正社校友会の副会長、中学校部会の部会長も務める